瀬戸内のハワイ、周防大島に行ってきました!

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周防大島

前回の記事「登場から14年経ったE52エルグランドは捨てたもんじゃない!」にて、山口に帰省したことを書きました。お墓参りが主な目的で帰省していますので、観光に多くの時間を割くことはできないのですが、今年は瀬戸内のハワイとも呼ばれている周防大島に行ってきました。

周防大島というのは島としての正式名称ではなく、「山口県大島郡周防大島町」の町の名称に過ぎません。周防大島町は山口県の最東端に位置し、瀬戸内海に浮かぶ「屋代島」、及び周囲の5つの有人島と25の無人島から構成されています。すなわち、屋代島が正式名称となるのですが、周防大島と呼ばれることが多いようです。

周防大島は本州(山口県柳井市)と大島大橋で結ばれています。大島大橋は着工から完成までに5年の歳月を費やし、昭和51年に完成しました。長さ1,020m、幅9m、海面より31.9mの高さとなっています。大島大橋により海沿いの国道188号線から車で容易に周防大島にアクセスすることが可能です。

なぎさ水族館

島内に水族館があることがわかりましたので、そこを目指すことにしたのですが、とにかく遠かったです。周防大島のほぼ先端に位置することから海岸線の道路を延々と走ることになったためです。周防大島は瀬戸内海では淡路島、小豆島に次いで3番目に大きく、約128㎢あります。どのくらい大きいのか今ひとつピンとこないですが、日本の島の面積ランキングでは、第24位のようです。

なぎさ水族館は一般的な水族館、例えば、サンシャイン水族館、葛西臨海水族館などとは違い、小規模な水族館で小型の水槽がたくさん展示されています。また、水族館スタッフのイラストや手書きの解説などが壁に貼られていて、アットホームな雰囲気を醸し出しています。妻と娘も数々の水槽に見入っていましたので、それなりに楽しめたのではないでしょうか。

水族館の半分程のスペースを割いてタッチングプールも用意されています。靴を脱いで中に入り、ヒトデ、ナマコ、様々な魚たちと直接触れ合うことができますので、小さなお子様には貴重な体験ができるのではないかと思います。

陸奥記念館

なぎさ水族館と陸奥記念館の共通券を購入して陸奥記念館も見てきました。陸奥とは戦艦陸奥を指します。

戦艦陸奥は、1943(昭和18)年6月8日、瀬戸内海警泊中に、謎の大爆発を起こし沈没し、総員1471人、うち死者1121人、生存者わずか350人という大惨事に見舞われました。戦後1947(昭和22)年に初の引き揚げが試みられましたたが、海底42mでの作業は困難を極め、間もなく中止されます。

そして、1970(昭和45)年6月、遺族や生存者らの20年越しの熱意が実り、引き揚げ作業が再会され、8年間にも及ぶ作業の末、乗組員の遺骨・遺品・主砲など艦体の75%が引き揚げられました。

陸奥記念館はこの引き揚げによって回収された物品をはじめ、全国から寄せられた遺品・資料の展示・保存に努め、これにより陸奥と共に逝った乗組員の冥福を祈り、戦争の悲惨さを後世に伝え、恒久に平和を願うものです。

館内には軍服、写真、遺品等が展示されており、艦内の居住スペース(2段ベッド)を再現したものが設置されていました。記念館の外には、国旗と共に旭日旗が掲げられていたのがとても印象に残っています。

 

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